経済安全保障とは?推進法で変わる企業の貿易実務とリスク管理

「経済安全保障」という言葉をニュースや政策資料で目にする機会が増えていますが、実際に企業として「何をすればよいのか」まで説明されることは多くありません。とくに国際調達や輸出入、先端技術を扱う企業では、経済安全保障が現実の業務とどう関わるかを理解しておくことが不可欠です。

本記事では、制度の概要にとどまらず、企業実務への影響、貿易リスク、対応策を実務者視点で詳しく解説します。

経済安全保障とは何か|制度の概要と貿易への意味

経済安全保障は単なる政策用語ではなく、企業の取引や技術活動に直接影響する枠組みへと進化しています。制度の表面的な理解にとどまらず、「自社のどの取引が影響を受けるのか」「何を見直す必要があるのか」といった実務レベルでの視点が不可欠です。

ここでは、制度の背景と本質、そして貿易活動に与える構造的な影響について整理します。

経済安全保障の定義と生まれた背景(米中対立・国際秩序の変化)

経済安全保障とは、国家が経済的手段を用いて自国の安全・自律性を確保しようとする政策的アプローチです。これは軍事・外交と並ぶ「安全保障の第三軸」とも呼ばれ、特定技術の保護、戦略物資の確保、投資審査、情報管理といった広範な分野にまたがっています。

その背景には、米中間の先端技術をめぐる戦略競争の激化があります。半導体、AI、量子、バイオといった技術が国家競争力の源とされる中で、経済的依存が国家の弱点となり得る状況が明らかになりました。

また、パンデミックやロシアのウクライナ侵攻を経て、物資やエネルギーの供給網がいかに脆弱であるかが可視化され、各国が「戦略的不可欠性(strategic indispensability)」と「戦略的自律性(strategic autonomy)」の両立を目指す方向に転じています。

企業にとっては、従来“地政学リスク”の範疇でしかなかった政治要因が、明確な事業制約として現実化してきているのが現在の状況です。

自由貿易と経済安全保障の相反する構造

経済安全保障の動きは、戦後の国際貿易秩序そのものに大きな再定義を迫っています。

自由貿易は、WTOの基本理念に基づき「貿易自由化・相互依存・国境なきサプライチェーン」を前提としてきました。一方で経済安全保障は、「国家による介入・管理・選別的取引」を重視するアプローチであり、両者は構造的に緊張関係にあります。

例えば、米国による対中輸出規制(半導体製造装置の輸出禁止措置)や、日本の先端半導体材料の輸出管理強化は、経済安全保障の観点から正当化されているものの、WTOルールとの整合性や報復措置の懸念も内包しています。

こうした「国家の安全のための例外」はWTO規定でも一定認められているものの、企業にとっては、ある日突然契約や取引ルートが塞がれるというリスクが現実化してきていると言えます。

企業にとっての意味|「国家リスク」と「取引リスク」の変質

従来、企業が直面する貿易リスクといえば、関税、為替、政治リスク、物流障害などが主でした。しかし経済安全保障の文脈では、「安全保障上の理由で、取引相手・技術・供給元が規制対象となる」という、より広義かつ不確実性の高いリスクが出現しています。

たとえば、以下のような状況が今後増えていくと予想されます。

  • 今まで問題なく輸出していた装置が、突如「軍事転用可能」と判定され許可制になる
  • 調達先が外国の戦略物資管理リストに追加され、輸入遅延や価格上昇が発生
  • 海外子会社が敵対国と見なされる相手と契約し、グループ全体が制裁対象になり得る

そのため、経済安全保障を単なる国際ニュースとして受け止めるのではなく、「自社の取引構造・技術・サプライチェーンを点検する必要がある制度的変化」としてとらえる必要があります。

以下は、自由貿易と経済安全保障の視点の違いを表にまとめたものです。

視点自由貿易経済安全保障
基本原則国境を越えた自由な取引国家主導の管理と保護
主な対象関税・FTA重要技術・供給網・投資審査
企業への影響コスト・関税対応輸出管理・情報管理・契約制限
不確実性の要因市場・価格変動政策判断・規制変更・国家関係

このように、経済安全保障は企業経営や実務において「別次元のリスク管理」を求める枠組みです。
次のセクションでは、これが実際にどの制度にどう表れているのか、そして日本企業がどこに注意を払うべきかを解説していきます。

日本の経済安全保障政策と企業への影響|推進法の本質

日本政府は2022年、経済安全保障推進法を施行し、これまで自由に行えていた企業の投資・調達・技術開発などに対して、安全保障上の観点から一定の制限と管理の枠組みを導入しました。法制度の全体像を押さえるだけでなく、「自社のどこが規制対象になりうるのか」を判断できる視点が求められます。

経済安全保障推進法の4本柱と対象制度

経済安全保障推進法は、以下の4つの制度で構成されており、それぞれ対象となる業種やリスク、求められる社内対応が異なります。

制度名内容関連業種対応ポイント
特定重要物資供給途絶が国民生活や経済に大きな影響を与える物資の安定供給確保電子部品、医薬品、レアアース、肥料など調達先の分散化、在庫水準の見直し、代替品の調査
基幹インフラ導入審査安全保障上重要なインフラへの機器導入を事前審査制に通信、電力、交通、物流、金融など導入機器・ベンダーの事前確認、審査対応体制の整備
先端重要技術の支援と保護公的支援と機密保持措置(特定重要技術への支援)AI、量子、半導体、バイオ、航空宇宙など技術区分の明確化、外部提供・共同研究契約の見直し
特許非公開制度軍事転用のおそれがある発明の特許出願を非公開にできる制度防衛、宇宙、製造装置、エネルギー関連企業等出願前の技術スクリーニング、情報管理体制の整備

これらはいずれも、法務や調達部門だけでなく、研究開発・経営企画・設備投資判断にも直結する制度です。特定の製品や取引先が該当するかどうかは、企業自身が継続的に精査する体制を整えておく必要があります。

特定重要物資の指定と対象業種のリスク

「特定重要物資」とは、海外依存度が高く、途絶リスクがある物資のうち、国家としての備蓄や供給確保が必要と判断されたものです。2023年時点では、レアアース、医薬品原料、肥料、半導体製造装置の一部部材などが対象候補として挙げられています。

ここで重要なのは、政府が指定する“リスト”に入っていなくても、将来的な追加対象となる可能性がある点です。実際、推進法では「指定された物資の取扱事業者に対し、計画提出や報告義務を課すことができる」とされており、指定された場合の業務負担は大きくなります。

企業が取るべき実務対応は以下の通りです。

  • 自社で取り扱う製品や素材が、どの程度特定国依存かを可視化
  • 主要部材の供給元・製造プロセスをマッピングし、ボトルネックを特定
  • 突発的な輸出規制への備えとして、サブサプライヤーの候補調査と契約整備

特定重要物資は、最終的に「ビジネス継続性(BCP)」の問題へと直結します。リスクの兆候が見られる段階で、調達・製造の再構成を検討することが求められます。

外為法・特許法・WTOとの関係と企業リスク

経済安全保障推進法の対象制度は、他の法体系と密接に連動しています。特に重要なのが以下の3点です。

  • 外為法(外国為替及び外国貿易法)
    ・デュアルユース技術の輸出審査や、外国資本による出資・買収の事前届出制を規定
    ・推進法のインフラ審査や技術保護制度と“二重で規制される可能性”がある
    ・特に、外国ベンダーとの契約や共同研究開発におけるリスク審査が重要
  • 特許法との連携(特許非公開制度)
    ・軍事転用が懸念される発明については、出願しても公開されない
    ・発明が特許非公開の対象と判断された場合、出願人には通知義務と管理義務が生じる
    ・企業としては、出願前の段階で「公開リスクのある技術」を識別する体制が求められる
  • WTOとの整合性(貿易制限との関係)
    ・WTO協定では「安全保障上の例外」が認められているが、濫用すると対抗措置のリスクあり
    ・特定国との取引において、規制導入の根拠や説明責任が問われる場面も想定される

このように、経済安全保障推進法は単体で完結する制度ではなく、複数の既存法令・国際ルールと同時に考慮すべきリスク管理領域です。
実務では、法務・調達・研究開発・経営企画が連携し、制度横断での対応方針を持つことが強く求められています。

経済安全保障に伴う貿易実務の変化|輸出管理と中国リスク

制度を理解するだけでは不十分です。実際のビジネス現場では、輸出管理や供給網の再構築といった「即応が必要な変化」が進んでいます。とくに、中国を含む調達先との関係見直しは避けられず、貿易担当部門にとっては日々の判断に影響を与えるテーマです。

デュアルユース技術の管理と外為法リスク(軍民両用・半導体装置)

経済安全保障の文脈で最も注意が必要なのが、デュアルユース(軍民両用)技術の輸出管理です。半導体製造装置や工作機械、AIを活用した制御システムなど、民生用に開発された製品でも、軍事転用の可能性があると判断されれば、外為法に基づく輸出許可が必要になります。

近年は米中対立を背景に、対象技術や対象国が頻繁に見直されており、以下のような対応が求められています。

  • エンドユーザーの再確認(最終使用者が軍や研究機関ではないか)
  • 輸出対象製品の性能評価(規制閾値を超えていないか)
  • 輸出可否の社内判断フローの整備
  • 経産省との事前相談体制の構築

特に中小規模の企業では「うちには関係ない」と誤認しているケースも多く、取引先経由で規制違反に問われるリスクもあるため、契約時点での用途確認と記録保持が不可欠です。

サプライチェーン見直しの視点(部材・原材料・ロジスティクス)

経済安全保障では、どの国から・どの経路で・どの部材を調達しているかといった「サプライチェーン全体の可視化」が重要です。特定国や単一企業への依存が高い状態は、政策変更や地政学的リスクによって突然破綻する可能性を含んでいます。

以下のように、項目ごとに実務リスクと対応の視点を整理しておくことが有効です。

項目内容対応の視点
デュアルユース軍民転用可能な装置・部材用途確認、輸出前審査体制の整備
素材調達特定国への依存(例:中国)サプライヤーの多様化、代替材料の選定
輸送海上・航空物流の遅延・制限複線ルートの確保、在庫水準の再評価、納期調整

加えて、調達契約には「不可抗力条項(force majeure)」の見直しを含め、突発的な輸出入制限に備える契約リスク対策も検討すべきです。

輸出管理やサプライチェーンのリスクは、制度だけでなく実務判断にも直結するため、貿易担当者は関連領域を立体的に理解しておく必要があります。とくに企業が備えるべき視点を深めたい場合は、サプライチェーン攻撃について整理した以下の記事をご覧ください。

 

中国との取引リスクと注目される素材(レアアース、電池、磁性材料)

経済安全保障における最大の供給リスクは「中国依存」です。中国は以下のような戦略物資の世界的な供給元であり、すでに複数の輸出制限措置を発動しています。

  • レアアース類(ネオジム、ディスプロシウム等)
    磁石材料に使用
  • リチウム・コバルト
    EV向け電池の主要素材
  • グラファイト
    リチウムイオン電池の負極材
  • ガリウム・ゲルマニウム
    半導体・光通信分野で不可欠

これらの素材に対して中国政府は輸出許可制や報告義務化を進めており、今後さらなる制限が加わる可能性があります。

企業が取るべき実務対応としては、以下のような対応が考えられます。

  • 素材ごとの中国依存度を棚卸しし、品目別リスクマップを作成
  • 代替調達先(ベトナム、豪州、国内等)の選定と試作評価
  • 価格変動や供給不安を踏まえた在庫戦略と長期契約の見直し

特に輸送ルートでは、中国を経由する港湾・航空便が制限対象となる場合もあるため、物流・通関ルートを含めたシミュレーションが不可欠です。

このセクションの要点は、「制度理解」と「現場での実行」をいかに橋渡しするかにあります。規制そのものは外的要因ですが、それにどう対応できるかは企業の準備次第です。

経済安全保障は、輸出許可や調達ルート、契約見直しといった日常業務に静かに食い込んでくる実務リスクです。
法制度をどう読むかよりも、自社のどこが影響を受け、何を変えるべきかを見極める視点が問われています。

輸出管理や供給網リスクは、経済安全保障の強化によって企業の実務判断により直結するテーマとなっています。とくに中国依存の見直しを深めたい方は、脱中国依存について整理した以下の記事をご覧ください。

 

経済安全保障への対応|企業が取るべきリスク管理と体制整備

制度の全体像を理解しても、実務上のリスクは解決しません。重要なのは「自社として何を整備し、どう判断・対応するか」です。
ここでは、現場での実践に落とし込むための視点を、経営判断・契約管理・情報収集の3軸で整理します。

経営層への説明用資料と社内リスクアセスメント

経済安全保障に関する対応は、現場任せでは成立しません。企業としての対応方針を定めるには、まず経営層の意思決定を支援する資料の整備が不可欠です。

実務上は、以下の要素を含む資料を整備・共有することで、組織横断の合意形成が進みやすくなります。

  • 推進法や外為法のどの制度が自社に関係するか(製品・プロジェクト別)
  • 対象となる素材・技術・調達先の洗い出し
  • 規制強化時の事業影響(コスト、納期、契約リスク)
  • 対応に必要な社内体制・予算・外部リソースの見積もり

重要なのは、「抽象的なリスク」ではなく、意思決定に使えるレベルの具体化です。たとえば「半導体装置事業に関し、米国の対中輸出規制に該当の可能性あり。製品Aについて輸出可否の確認作業が追加される」などの表現が有効です。

サプライヤー・顧客との契約見直しと体制整備

経済安全保障リスクは、サプライチェーンの契約管理にも影響します。とくに以下のようなリスクが企業に降りかかる恐れがあります。

  • 取引先が規制対象になり、納品不能・契約違反が発生
  • 想定外の価格上昇・納期遅延に対し、契約にカバーがない
  • 規制対応に伴うコストや許認可手続きの責任分担が不明確

これに対処するには、契約書のひな形や条項のアップデートが必要です。

実務上、以下のような対応が推奨されます。

  • 「不可抗力条項」の範囲に政府規制・政策変更を含める
  • デュアルユースや戦略物資に関する表明保証条項(Representations and Warranties)の追加
  • 輸出入手続きの分担明記(誰が許認可を取得するか)
  • 代替供給義務の明文化

また、調達・営業・法務の連携体制を強化し、「規制対象かもしれない」と判断した段階で、契約締結を一時保留・再検討できるフローを整えることも現実的なリスクヘッジです。

政策・制度アップデートの定点観測の重要性

制度対応は“1回やれば終わり”ではなく、常に動いているリスク管理のプロセスです。
法改正、国際動向、通達、対象物資の追加など、アップデート情報を定点観測し、社内に反映させる体制が求められます。

以下は、企業が定期的にチェックすべき信頼性の高い情報源と、その活用方法です。

情報源内容活用方法
経済産業省・内閣府法改正、制度解釈、審査手続き定期的にPDF・通達を確認し、社内で共有
JETRO各国の貿易政策、対中輸出規制国・地域別のレポートを翻訳・リスクマップ化
業界団体分野別の最新動向、通達自社の取り扱い品目に関連する規制を即時把握
官報/e-Gov法令改正の原文、公布情報外部弁護士・顧問経由での制度チェックの補完手段

社内では、これらの情報を経営企画・法務・調達部門が共同で定期レビューする場を設け、施行前に自社での影響分析を完了しておく仕組みが理想です。

このように、企業が経済安全保障に対応するには「特定部署の責任」ではなく、全社的な体制と継続的な仕組み作りが必要です。制度そのものは国がコントロールしているため、企業にできるのは早期察知と迅速対応の体制構築です。

まとめ

経済安全保障は、もはや政策論にとどまらず、企業活動の根幹に影響を与える重要テーマです。特定物資の供給確保や技術流出防止といった制度対応は、製造・調達・輸出入・法務など多くの部門にまたがり、実務上の判断や契約管理にも直結します。
特にデュアルユース技術や中国依存素材への対応は、具体的なビジネスリスクとして認識すべき段階に来ています。

今後は、推進法や外為法などの制度を継続的にウォッチし、自社のどの取引が影響を受けるのかを可視化する体制が欠かせません。「制度を知っている」だけでは十分でなく、「何をすべきか」「誰が動くか」を明確にしたリスク管理の仕組みづくりが必要です。

対応に不安がある場合は、一度専門家に相談することをおすすめします

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